最近、長く空手を続けていた人が、辞めたくなったと言い出したり(辞めてはいませんが)、逆に辞めていた人が復活したりという事がありました。
実は自分も道場生だった頃に道場に足が向かなくなった経験もあります。
空手を長く続けていると飽きるのかもしれません。
進歩が感じられない、帯が変わらない、下の人に抜かれたなどなど・・・
これはよく聞く話です。
道場の場合、行っても行かなくてもいいわけで、行くのも行かないのも自分で決められます。(仕事だと、そうはいきませんが)
なので、飽きた時に自分が試されます。心のつぶやき
「今日はいいや・・・」
ここでグッと堪えて稽古に行くと、問題ないのですが、行かないとそのままズルズルとサボり癖がついてしまいます。
そうなると
稽古に行かない→実力が伸びない(または落ちる)→つまらなくなる→稽古がよりイヤになる→さらに稽古に行かない→悪循環
となってしまいます。なので逆の循環を作るのが最良ですが一度悪循環に陥るとなかなか元に戻すのは大変です。
結局、空手は「自己鍛錬」です。回りの人がどうとか、試合の結果がどうとか、帯がどうとかで判断せずに、自分が鍛えられているか?と考える事が大切です。
肉体的な部分でも精神的な部分でも、「今、自分は鍛えられているか?」と考えて稽古をしたり、日常を過ごすと、苦難に思えた事も、自分を鍛えるための修行だと思えてきます。
例えば、頑張って稽古して挑戦した試合で1回戦負けをしたとします。大きな挫折感を感じてやる気を無くしそうになった時に、「こんなに辛い思いはもうイヤだ」と考えてしまうと終わりに向かいますが、「この辛い経験を乗り越えて行く事で、自分を鍛えていこう」と考えればこれも修行と思えてきます。
他にも状況に応じた例を出せばきりがないですが、自分が最近思うのは
「空手道」
この 「道」 という部分です。
数年前までは「空手の道を歩んで行く」という感覚でしたが最近は
「これまで歩んだ道を振り返る」という思いに変わってきました。
困難を目の前にした時に、乗り越えるエネルギーというのは溢れている時と、全然無い時があります。前に突き進む事で道を作って行こうと考えすぎると、どこかで挫折して終わってしまいます。
これまでの道はどうだったかなぁと振り返ると、辛い経験も良い経験だったと思えてきます。
絶好調の自分も、絶不調の自分も認める事ができて、道を振り返る事が自分自身のチェックになります。意外に当時は辛かったり、イヤだなぁと思った経験の方が、今は役に立っている事が多い事に気が付きます。
こうなると、黙々と道を歩み、良い事、悪い事すべて受け入れて前に進む事が楽しいと気付きます。
ここまで行けば、細かい理由で辞めたいとは思わなくなると思います。
部活やプロスポーツなどと違い、空手の修行は生涯、老若男女無期限で行えます。ここが空手などの武道の良い所だと思います。
簡単に言うと、何もない所に道を切り開くのではなく、自分の後ろに道を作って行く。
という感じです。
わかりにくいかもしれませんが・・・。
自分のここ最近の道は・・・・
ご想像にお任せします。